2016/07/04

考え方を教える必要性

考え方

東京都渋谷区にある小学生対象のプログラミング教室スモールトレインで講師をしております福井です。第9回目は「考え方を教える必要性」です。

なぜ考え方を教えなければいけないか

第5回目のコラムでは、子どもたちに「考えた?」と聞くと「考えた」と言うのですが、実際には考えていないということが多くて、考えるとはどういうことかについて書きました。しかし、「これが考えるということだ」と示したとしても、そう簡単には考えることが身につきませんでした。

「同じように教えているのに結果に差が出るのはなぜだろうか」ということを15年間考えてきました。自分なりに工夫して教えてきましたが、「これだ」というものはなかなかありませんでした。

このように結果に差が出るのは当然だという意見もあります。才能の差、能力の差だという意見です。しかし、男の子を二人自分で育ててみて、そこに言われるような才能の差、能力の差があるのだろうかと疑問に思います。あるとしたら興味の差です。

ある子どもはブロックに興味があります。ある子どもは電車に興味があります。そうした差です。これが小学校に上がり、勉強をするようになって評価されるようになると差が出てきて、ある人は「あの子は才能があるからだ」と言われ始めます。

しかし幼少期の教育や興味・関心で差ができてしまい、それが才能や能力として評価されるとしたら小学生になってその差を埋めることはできないのでしょうか。こうした問題を考える前提として、そもそもなぜ幼少期の教育や興味・関心が差になるのかを考えなければなりません。

そのヒントを与えてくれたのが、シーモア・パパート著「マインドストーム」です。この本は1980年に書かれた本ですが、その輝きは今も失われていません。パパートは発達心理学者であり、数学者です。ジャン・ピアジェの影響を受け、後のアラン・ケイの教育観についても影響を与えています。そういう意味ではビジュアルプログラミング言語のスクラッチとも大いに関係があると言えるでしょう。

さて、そのパパートの本ですが、「まえがき」に以下のように書かれています。

私が数学に啓発されたのは、小学校で教わったことの何よりも差動装置を学んだ経験に負うところが大きかったと思う。歯車がモデルになって多くの抽象概念を私の頭に持ち込んだのである(3頁)。

或る日、私は、おとなでも、というより殆どのおとなが、歯車の不思議を理解できていないか、まったく無関心でいることを知って驚いた。…私にはこんなに簡単なことがどうして他の人々には理解できないのか。息子自慢の父親は、賢いからということで説明しようとしたけれども、私にはそうではないことは判っていた。差動装置を理解できない人達でも、私には難かしそうに思えることが雑作もなくできるのだから。そうして、徐々に私は、今でも学習の基本的な事実だと見做している概念を形成し始めた。どんなことでも学ぶのは易しい。自分の手元にあるモデルに同化することさえできれば。同化できなければ、どんなことでも実に困難になる(4頁)。

この部分を読んだ時に、今までの疑問がすっとと解けたような気がしました。私たちが何かを考えるときは無意識に自分の中のモデルで判断している。そのモデルと同化されているのです。つまり、こうしたモデルが無い人、もしくは自分のモデルと同化できない際に、考えることができないということだったのです。こうした考えるためのモデルを教えること。これが重要です。しかし、このような考え方のモデルとして共通したものがあるのでしょうか。パパートは以下のようにも述べています。

私は歯車に惚れこんだのである。これは純粋に認識的な言語に還元できないことがらだ。何か特別私的なことが起こったわけで、それが全く同じ形で他の子供に繰り返し起こるものとは仮定できないからである。

私の論旨を要約するなら、歯車にできないこともコンピューターにならできるかもしれないということである。…コンピューターをより適応性のある道具にして、私にとっての歯車にあたるようなものを、多くの子供達が自分で創り出せるようにしようというこの10年来の私の試みの成果が本書である(6頁)。

私もスクラッチを使って算数の問題をプログラミングしていく間に同じような感覚を覚えました。学校で教える算数は計算や公式の暗記が中心で、たとえ考え方があっていたとしても×になります。しかし、プログラミングは違います。計算はコンピュータがしてくれますし、覚えることもコンピュータがしてくれます。

答えがあっているか間違っているかは確かに重要なのですが、簡単に正解が出せる課題は存在しません。必ず間違い(バグ)が起こります。その間違い(バグ)を修正すること(デバッグ)を繰り返しできるのがプログラミングの特徴です。つまり算数が得意な生徒はこれができているのです。

算数をプログラミングすることでどこにバグがあるのか考え、デバッグを繰り返し行う。そうすることで算数そのものの見方も変わりますし、答えが出た時点でなぜその答えになるのか考える機会も得られます。

今までは算数の解答用紙の前で手が止まって何をしていいか分からなかった生徒も、スクラッチを使って、ブロックを組み立てることで答えを求めることができる。そしてデバッグできる。それを繰り返すことで新しい価値を生み出すことができるのではないか。それがプログラミング教室スモールトレインの挑戦でもあります。

現在、プログラミング教室スモールトレインでは、説明会&操作体験会を実施ています。ご興味のある方は7月10日(日)の説明会&操作体験会にお越しください。ご参加をお待ちしております。

参考文献:パパート, シーモア(1982)『マインドストーム』(奥村喜世子訳) 未來社

ページトップへ