2016/10/14

知ることと考えること~正解という幻想

幻想

東京都渋谷区にある小学生対象のプログラミング教室スモールトレインで講師をしております福井です。さて、この記事のタイトルなんとなくわかると思いますが、これは正解がないということではなく、正解は考えることで初めて分かるという意味です。

この言葉は苅谷剛彦(1996年)『知的複眼思考法』講談社に載っている言葉で、この本自体とても面白い本です。そこで、今回はこの本を引用しつつ、考えることについてまとめたいと思います。

この本では「正解」という幻想として、まず以下のように語られます。

学生たちを見ていても、与えられた課題についてまじめに勉強するのですが、自分から問題を立ててそれを解くということは、あまり得意ではないようです。(48頁)
(中略)
しかも、気がかりなのは、問題が与えられた場合にも、学生たちは、どこかに正解がある、と思っているふしがあることです。(49頁)
(中略)
大学というところは、「考える力」をつける場所なのに、教師のいっていることや本に書かれたことから「正解」を探せばよいと思っているようなのです。(49頁)

どうでしょうか。こうした正解探しはよく見られます。「まだ習っていません」「まだ勉強していません」という言葉は小学生からもよく聞かれます。実際には知らないわけでも、習っていないわけでもなく忘れているだけなのですが、そこで思考停止してしまいます。

「十分な知識がないのでわからない」「もっと本を読めば、わかるようになるだろう」。つまり、勉強量が足りないせいで、問題が解けないのだと思い込んでしまう学生たち。…本当のところは、知識がまったくないというより、知識をうまくつかいこなせないのですが。
ところが「知らないから、わからない」という勉強不足症候群の症状は、正解がどこかに書かれているのを見つければ、それでわかったことになるという正解信仰の裏返しです。そして、この正解信仰を突き詰めてしまうと、「唯一の正解」を求める、かたくなで原理主義的な態度にもつながってしまいます。(50-51頁)
(中略)
もちろん、知識はないより、あったほうがいいに決まっています。本も読んでいないよりは読んでいたほうがいい。あることがらを知っていることで、ステレオタイプの発想から逃れられるという例は、たくさんあるでしょう。けれども、私がここで問題としたいのは、「知識があればわかる」とか、「調べればわかる」といった、知識の獲得によってすぐに解決できるような問題ではなく、どうすれば知識と思考とを関係づけることができるか―簡単にいうと、知っていることと考えることとを結びつけるやりかたの問題です。(52頁)

このように知ることと考えることは明確に違います。本来、大学では知ることではなく、考えることを教えます。そのために授業があり、課題があるのですね。どこかで調べてきたものをきれいにまとめる能力が優れていても、それで何が言いたいのか伝えられない人もいます。一生懸命調べたのに考えることができていない。大変もったいないことです。

自分の頭でしっかり考える力を身につけること、考える癖をつけること。それを目指して、スモールトレインの授業は毎日展開されていますし、教材もそのために作りました。興味のある方はぜひご連絡ください。

多くの方にプログラミング教室スモールトレインに参加していただくため、コースとして月2回、月4回、月8回とあり、曜日固定ではなく空いている時間に来られます。遠方だからと悩んでいる方もぜひ説明会にご参加ください。お待ちしております。

現在、プログラミング教室スモールトレインでは、説明会&体験会を実施中です。10月の説明会&体験会は10月16日(日)、10月29日(土)です。ぜひお気軽にご参加下さい。

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